惣角の武者修行の武勇伝
武勇伝と言うと少し違う気がしますが、惣角がほぼ生涯かけて日本全国を武者修行しているときの出来事の、ほんの一部を紹介したい。
明治11年5月上旬、惣角19歳の頃、仙台へ武者修行の旅に出た。その頃政府は仙台を軍部とするため、東京から直通の国道開発の工事を急いでいた。道路工事の人夫は、国内を流れ歩いているならず者ばかりで、血の雨を降らすのを日常茶飯事としている。
ならず者が悪さを働いていることを聞いた惣角は、無頼の土方が何百人いようとも、天下の往来を避けて通ることはないと堂々と通行してやろうと惣角は心に決めた。数え年19歳の惣角は、死を恐れない向こう見ずであった。
翌朝、日の昇る前に宿を立ち、午後はやく二本松を過ぎ夕刻には松川の手前まで来ていた。そのあたりから褌ひとつに向こう鉢巻の人夫が増え始め、娘が道をゆくのを見ると、奇声を上げ、卑猥な言葉を聞こえよがしにわめき立てていた。
政府の手先が行う道普請の人夫達に脅されては会津武士の名折れだと惣角は眉を上げ進んだ。峠を越えると左右に飯場が立ち並び、おびただしい人夫が軒下で丼を手に夕食を取っている。徳利を傾け、酒を飲んでいる一群も目についた。惣角が現れると彼らは一斉に視線を集めた。
湯呑で酒をあおっていた男は立ち上がり、惣角の方へ向かってきた。大男は惣角の前に立ちふさがった。
「おい小僧、手前は誰の許しがあって、この道を通っているのっしゃ」
惣角は相手の目を見すえる。
「誰かに許しを受けねば歩けねえのかや」
「おう、あたりめえだべ。このあたりの縄張りを取り仕切っているのは俺だ!」と大声でやり取りしているうちに、いつの間にか周りには3~40人の人夫が人垣をつくり、取り囲んでいた。
「小僧、つべこべいうのもこれまでだべ。裸にして放り出してやらあ」と言うなり、木の根のような腕を突出し、惣角の胸倉をつかんだ。
惣角は肩に担いでいた仕込杖で、袈裟がけに一撃を食らわせ大男を打ち据えるつもりだったが、仕込杖の先に、防具袋をぶら下げているのを忘れていた。
仕込杖が動くと同時に、防具服もソウカクの頭上を弧を描いて前に飛び、打ち込みに勢いが付き、鞘が二つに割れ、刀身が大男の右肩から乳下まで六寸ほどを深く断ち割った。
血しぶきが噴水のようにあがり、大男は悲鳴とともに朽ち木倒しに地面に転がった。思いがけない光景に人夫たちは逃げ散ったが、これが人夫たちの無頼の本性にスイッチがはいいたようで鶴橋、天秤棒、槍かんななどを手にして、駆け戻ってきた。
惣角は逃げながら、追って来るものを切り捨てた。しかし斬って斬って斬りまくってやれと覚悟を決めると、惣角は押し合い追いかけてくる敵中に、自分から切り込んでいった。
恐怖の叫びをあげ、なだれうって逃げ去る敵を、惣角は容赦なく切り倒した。その数40人近く殺傷したようだ。さすがの名刀も、次第に刃こぼれがひどくなってきた。
人夫たちも、惣角とまともに戦えば斬られると知り、遠巻にして雨のように石を投げつけた。惣角は頭や眼をかばったが、後頭部を狙い打たれ、血まみれになったところに、土砂がいっぱいついたモッコを四方から投げつけられ、天秤棒やツルハシで惣角を打ち据え、ついに惣角はうつぶせに倒れ込んだ。
「よくも大勢を斬りやがったな」
「ぶっ殺せ!」
惣角の全身に乱打がくわえられ動かなくなったところに、兄貴分の人夫がツルハシを手に前に出た。
「お前ら、ひっこめ。俺がこの野郎のとどめを刺してやっぺ」ツルハシを握りなおして惣角の上にまたがると、力任せに打ち下ろしたツルハシは、音を立てて惣角の肋骨を砕き、肺の中へ深く打ち込まれた。
心臓を狙った一撃であったが、狙いはわずかに外れていた。惣角はそのまま意識を失った。
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