剣と禅のこころ
「剣と禅のこころ」の著者(佐江衆一)のご紹介
「剣と禅のこころ」 新潮新書 新潮社出版 著者:佐江衆一
「剣と禅のこころ」の著者の佐江衆一先生は1934年(昭和9)に東京生まれの小説家です。しかし小説を書くに至るまでの道のりは平坦なものではありませんでした。
1954年高校を卒業とともに、日本橋の丸善に就職しました。読書が好きだった著者は、書店で知られる会社なら本に関した仕事ができると思っていたのですが、配属先は人事課で、毎日嫌いなソロバンで社員の給料を計算するのが仕事でした。
「どうしたら、他の誰でもない自分らしく生きられるのだろう」たった一度の人生なのに、本当に自分が何をしたいのかわからず、悶々とした日々を送っていました。
そんなある日、滝沢修や宇野重吉らが演じる公演を見て、その素晴らしさに感動し、「そうだ!役者になろう!」と、さっそく会社に演劇部を作り活動を始めました。翌年にはNHKのドラマコンクールにも入賞し、宇野重吉さんからも演劇指導を受けるようになりましたが、東宝ニューフェイスの試験に落ちたこともあり、自分は役者として資質も才能もないのだと、思うようになりました。
一方、小説の読書には一層熱中していました。そして、自分は演劇をやるより小説を書く方が向いているのではないだろうかと思い、自分に資質か才能があるなら「小説家になりたい」と夢を描いていました。
しかし、やってみなければ自分に「その道の器用」があるかどうかわかりません。そこで、勤めながら夜間学校に通って小説の勉強をはじめ、同時に同人雑誌「文藝首都」に入って小説作法の修業も始めたのでした。
そして分かったことは、小説を書くことが芝居をするよりも、飯よりも、何よりも好きだと言う事でした。さらに、同人雑誌の先輩の北杜夫さんなどに小説を褒められ、26歳の時、同人雑誌から推薦された短編小説が「新潮」に掲載され、瀬戸内寂聴さんや三浦哲郎さんがすでに受賞していた新潮社同人雑誌賞を受賞し、新人作家としてスタートしたのでした。
また、著者・佐江衆一先生は武道にも精通しており、45歳から古武道の杖術始め、50歳から居合術と体術などもやり、55歳から剣道を始めており、現在も稽古に励んでおられるそうです。
道の器用を知る(剣と禅のこころ)
この「道の器用」とはどういうことでしょうか。著者の佐江先生は「持って生まれた資質・才能のこと」と言っております。
これは「人が人生で何をしてどのように生きるか」を考えるとき、とても大事なことです。しかし自分らしく生きると言うことは、もって生まれた資質や才能に気付いて生きることなのでしょうが、誰しもがその人なりの「道の器用」を持っているのに、なかなか気が付かないのです。
短い一生ですし、そう幾度もやり直しのきかない人生ですから、自分の「道の器用」に早く気付いて、その道に進むべきと本では書かれています。著者の佐江先生も小説家になるまでにはいろいろと寄り道をしたようですが、ある時気が付いたそうです。「小説を書くことが、三度の飯よりも何よりも好きだ!」と。
昔の人はうまいことを言ったものです。「好きこそ物の上手なれ」。そう、好きなことには「その道の器用」が必ずあるのです。道の器用があるからやっていて面白く、好きなことを仕事にすると、人生が実に面白いのです。
しかし、その道の資質があり才能があっても、勉強し努力して磨かなければ、輝きも増さず開花もせず、宝の持ち腐れと言うものです。宮本武蔵も書いてます。
「其後なをもふかき道理を得んと、朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)してみれば、をのづから兵法の道にあふ事、我五十歳の比也。」
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と武蔵は記してますが、もって生まれた武術の才能に若いときから「朝鍛夕錬」して磨きをかけてきて、五十歳にしてようやく、兵法の道を極めるに至ったのです。
また、有名な孔子の「論語」では
「われ十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがふ。七十にして心の欲するところに従ひて矩(のり)をこえず。」とあります。
高齢化社会の今日では、四十歳は「不惑」ではないし、五十歳にして天命を知るどころか、まだまだ惑いの中にいるようです。
昔と違い、今の五十歳は若々しく元気ですので、五十歳を過ぎてから始めても、かなりの成果を出す人が大勢いますし、定年後から始めても遅くはないのです。
自分の「道の器用」に早く気付いて、その道に進む事は素晴らしいことですが、六十歳を過ぎてからでも、遅くはなく、やろうと思った時が、吉日でスタートなのです。